夫へ。「死んだらお骨だけ」?お守りよりも大切なこと
「どうして人は死んでしまうんだろうね」。
そう夫に尋ねた。すると、夫は黙ってしまった。
お母さんを亡くして、夫も、私も、心にぽっかりと穴が空いている。
でも、私は、ただ寂しがっているだけじゃない。
「遺骨をお守り代わりにしても意味がない」とあなたは言うかもしれない。
でも、私は、お守りよりももっと大切なものがあることに気づいたのです。
今回は、そんな想いを伝えるために、私が観てきた映画についてお話しします。
「おくりびと」
私が初めて「終活」という言葉を知ったのは、この映画でした。納棺師という、故人の旅立ちをそっとお手伝いする職業があるなんて、当時は知りませんでした。
この映画は、人の死が、ただの「終わり」じゃないことを教えてくれます。故人の顔をきれいに整え、身近な人が感謝の気持ちを伝える。死は、故人と残された人たちにとって、最後の「つながり」なのだと気づかされました。
「最高の人生の見つけ方」
余命宣告を受けた全く違う境遇の二人が、死ぬまでにやりたいことリストを叶えるために旅に出る物語。
「病気にならなければ、出会えなかった」。
そう語る二人の姿は、生きていることの尊さ、そして人生の楽しみは、意外と身近にあることを教えてくれます。
「きみに読む物語」
愛する人が、自分を忘れてしまっても、毎日、二人の物語を読み聞かせる男性。
「愛は永遠のものだと思う」。
この映画を観て、そう確信しました。遺骨ダイヤモンドも、形を変えても変わらない、永遠の愛の物語だと思うのです。
まとめ
「死んだら、お骨が残るだけ」。
そう考えているあなたに、どうかこのブログを読んでほしいのです。
遺骨は、ただの「モノ」ではありません。それは、お母さんが生きた証であり、私たちへの「愛」の形です。
遺骨をダイヤモンドにすることは、お守り代わりにするためじゃない。
お母さんとの愛を、永遠の輝きに変えて、いつまでも大切にするためなのです。
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