戦争や病気はなぜなくならないのか?

2023年12月29日金曜日

ダイヤモンド以外の供養

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世界中で争いごとがとまらない。「戦争はなぜなくならないの?」って、難しい質問をいただいた。歴史を調べてみると、戦争や「迫害」があったあと「信仰」がおおきく育つらしい。戦争って「信仰」をそだてるためなか?(ユダヤ教から生まれた宗教に共通するの考え方かも?)

戦争や病気はなぜなくならないのか?


戦争は「信じる」ためでした。神様を信じるためというよりも他人を信じるためです。戦争が終わったあと分断の世界からお互いに信じ合える世界に変わっているといいと思います。病気になる理由は「自分の弱さに気付くため」です。それだけのために病気で死んでしまう人もいます。病気を神様からのお恵みだと信じている人もいます。

神様がいるのに戦争はなぜ起こるのか?


「戦争」や「大災害」「迫害」が起こったところには信仰が実るといいます。戦争で命をおとしてでも、手に入れなくてはいけないものがあるのかもしれません。

戦争はなぜなくならないのか?

神様は人類に戦争という試練(苦しいテスト)をさせたがっているのかもしれません。戦争や大災害や迫害が起こったところは、そのあと大きな信仰の恵みがあると聞いたことがあります。それはまるで「雑草」を焼き払ったあと、また新しい命がめばえるようなイメージと重なります。そんなに軽々しいことではないですが。

※頻繁に「神様」と書いていますが、神様を信じていない人は「神様」を「他人」と読み替えてください。

私は「それだけのために?神様が?」と思ってしまいます。神様にとって人間の信仰がそこまで大切なのかと。神様の事情はよくわかりませんが、神様にとっては信仰がいちばん大切(信じることがいちばん大切)なのかもしれません。信仰は数千万人が命をおとしても手に入れなくてはいけないものだという意味ですが……。

神様は、戦争を通して人類になにかを伝えているのかもしれません。ですが、やっぱり、このように思ってしまいます。「それだけのために?」そうだとしたら、「信じる」ことは、それだけ、重いことなのでしょう。

信仰が大切の意味はなんだろうか?

信仰が大切というメッセージが、仮にあったとして、神様からのメッセージは、戦争で生き残った人へのメッセージです。ということは、私には何を神様から求められているのでしょうか?

私が個人的に感じたメッセージは、神様を「信じることは命がけ」「信じることは大変」ということだけです。「原爆」や「シリア」「コンゴ」「ソマリア」「東北大地震」。何人もなくなりました。そしてウクライナやイスラエル。その代わりに、生き残っている私はきっと「神様」を「信じる」事を伝えないといけないのかもしれません。

神様を信じることの意味はなんだろう?

神様を信じることは権力やお金、武器や他人をコントロールすることとは、まったく反対のことです(なのでたいへんで命がけなのかもしれません)。

今気づきましたが、「神様を」と書いています。これは「他人を」「人間を」と読み替えても構いません。神様を信じるよりも敵を信じるほうがもっと大変なことですから。

どうして病気になるのか?

世の中、暗いことだらけです。わたしは病院へ営業活動もしていたので、病院の職員さんから「どうして病気になるのですか?」という質問を聞いたことがあります。病気になるのは自分の「弱さに気付くため」、それに他人への「思いやりをよせるため」です。

病気は「自分がいちばんえらいんだぞ」と思っている人の心を他人に奉仕する心に変えることもできます。逆に、へりくだる人は上に挙げられることでしょう。私の病気のイメージは、アメリカの海兵隊のような「だれにも負けない」と思っている人が「気をつけ!」しているときに、うしろから「ひざカックン」するような風景です。本当の病気はそんなに簡単なことではありませんが、強い者でもある日突然「病気」や「けが」が襲ってきます。

他人の苦しみに気付くこと

病気になる理由のひとつは、他人の苦しみに気付くことです。病気になったときに「どうして、病気になったんだろ?」と悩みます。それなりの意味も見つかるかもしれません。ずっと悩んでいる人もいます。その悩みの中で、いちばん難しいことは「他人の苦しみにも気付く」ことです。自分も辛いので他人の苦しみにまで気が付けないです。そういう毎日の中で、O.ヘンリーの短編「最後の一葉」のような気づきも生まれます。

他人と自分を比べてしまう

たとえば「あと1月の命です」といわれたとき、「なぜ、自分が?」と考えます。「それもそうか、オレはヘビースモーカーだったから」と原因が理解できたとしても、割り切れない気持ちがあります。原因がわかっても納得できていないからです。

なぜ納得できていないかというと、他人と自分を比べてしまっているからです。「一緒に喫煙ルームで話ししていたアイツは病気でもなんでもないのになんでオレなんだよ」。他人と比較して自分が損をしていると思うといつまでも納得できません。それよりも「自分の人生と引き換えになる何かを見つける」ことができると、人生に納得できるようになります。

誰かの弱さにも気づける自分になる

人生に納得できるようになるには「だれかの弱さにも気付けるようになる」ことが必要です。誰かの弱さに気づけると、自分がその人のためになり、その人のささやかな幸せが自分のためにもなるからです。

  • 自分はもう死んでしまうど、家族にはいつも迷惑をかけたなぁ
    家族の弱さにも気がついた、私
  • 同じ病室の隣のヤツは誰も見舞いに来ないみたいだな
    となりの人になにかしてあげられないかと考えている、私
気付くだけではなくて、その人達のためになにか行動を起こせたときに、誰かの弱さにも気づける自分になっているのでしょう。

ありがとう、ごめんなさいを言える

知り合いが病気になったときのことです。それまで、そんなに大切ではなかった知り合いなのですが、病気になったと聞いたとき、私の両親のことを思い出しました。今のところ元気な両親ですが、年をとってちょっと熱がでただけで「うわ、このまま、死んでしまうのかな」とあせったことがあります。「ありがとう」も「ごめんなさい」も、いえてないことに気づいたのです。そんな準備をさせてくれるのが「病気」なのかもしれない。

まとめ|戦争や病気はなぜなくならないのですか?

そういうわけで、病気になる理由は「自分の弱さに気付くため」「他人の苦しみに気付くため」「ひとに思いやりをよせるため」でした。それだけのために病気で死んでしまう人もいます。病気を神様からの恵みだと信じてる人もいます。

戦争は「信じる」ためでした。神様を信じるためというよりも他人を信じるためです。

戦争や病気があったから人間(ホモ・サピエンス)は、より人間らしく(泥くさく、かつ、知的に)生きながらえてきたのかもしれません。

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