戸田火葬場へ行こうとしたら夫が大騒ぎした件
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戸田市のマンションの朝は、だいたい騒がしい。 しかし、この日の騒がしさは、いつもの靴下が片方ないレベルではなかった。「なあ、由美。ほんとに行くのか、あそこに?」 夫・義男は、テレビのリモコンを握りしめたまま、まるで宇宙に旅立つ息子を見送るかのような顔をしていた。
戸田火葬場へ行こうとしたら、夫が大騒ぎした件
「行くよ。ミケのためだもの」
妻の由美は、愛猫ミケの写真を胸に抱きしめながら、きっぱりと言った。
「だってさ、移動火葬車とか、なんか、こう煙がモクモクして近所の人に見られたら」
「義男さん、それ昭和のイメージよ。今どきの移動火葬車は静かで綺麗なの。ていうか、今回は戸田火葬場に行くって言ってるでしょ」
「戸田火葬場って、あれ、板橋区にあるのに戸田って名前の?」
「そう。大正時代に戸田村にあったから、その名残なの。歴史あるのよ。東京都内でも二番目に古いんだから」
「へぇ。そんな豆知識いらんけど」
義男は、なぜか急に歴史の重みを感じたのか、背筋を伸ばした。
そこへ、小学五年生の娘・さくらが乱入してきた。
「ママ〜!ミケのお別れ室って、鳥の絵が描いてあるんでしょ?友達が言ってた!」
「そうなのよ。空に羽ばたく鳥の絵。ミケもきっと喜ぶわ」
「えっ、ミケって鳥好きだったっけ?」
「そこは雰囲気よ、雰囲気」
義男は、スマホで料金表を見ながら、眉間にしわを寄せた。
「小型動物の立会火葬で33,000円。特大動物で60,500円。粉骨11,000円。うーん、ミケは小型でいいんだよな?」
「義男さん、ミケを特大扱いしようとしてない?」
「いや、ほら、最近ちょっと太ってたし」
「失礼な。ミケはふくよかなの!」
さくらが笑いながら言った。
「パパ、ミケは特大じゃなくてぽっちゃり小型だよ」
家族のやりとりに、ミケの遺影がどこか誇らしげに微笑んでいるように見えた。
戸田火葬場へ
「よし、覚悟を決めたぞ!」
朝のリビングに、義男の妙に張り詰めた声が響いた。
由美とさくらが振り向くと、そこには、白いヘルメット、軍手、そしてなぜか登山用リュックを背負った義男が立っていた。
「パパ、それ何の装備?」
さくらが冷静に尋ねる。
「いや、ほら、火葬場って、なんかこう、熱いんだろ?炉とかあるし。安全第一だと思ってな」
「義男さん、火葬場は工事現場じゃないのよ」
「でも、ほら、熱風とか、飛んでくるかもしれないし」
「飛んでこないわよ」
由美が呆れたように言うと、義男はさらにリュックをゴソゴソし始めた。
「あと、非常食も持ってきた。カロリーメイトと水と、なぜか乾燥わかめ」
「なんで乾燥わかめ?」
「いや、なんとなく。非常時に良さそうだろ?」
「パパ、火葬場は遭難する場所じゃないよ」
義男はスマホを見ながら、突然叫んだ。
「由美!ミケの火葬、特大動物の料金になったらどうするんだ!」
「だからミケは特大じゃないって言ってるでしょ」
「でも最近、抱っこするとズッシリしてたし…」
「それはパパのお腹も同じでしょ」
「ぐっ!」
さくらが横から冷静に補足する。
「パパ、ミケはぽっちゃり小型。パパはぽっちゃり中型。分類が違うよ」
「なんだその動物園みたいな分類は!」
「よし、じゃあ出発しようか」
由美が声をかけると、義男は急に青ざめた。
「ちょ、ちょっと待って!俺、心の準備が!」
「さっき覚悟決めたって言ってたじゃない」
「いや、あれは気合いであって準備では!」
義男は玄関でウロウロし始めた。
靴を履いては脱ぎ、脱いでは履き、なぜかスリッパで外に出ようとし、
さくらに首根っこをつかまれて戻される。
「パパ、落ち着いて。火葬場はジャングルじゃないよ」
「でも。でも!」
「パパが一番取り乱してるよ。ミケの方が落ち着いてると思う」
ミケの遺影が、またしてもどこか達観した表情で微笑んでいる。
ようやく車に乗り込んだ寺田家。
エンジンをかけた瞬間、由美がふとつぶやいた。
「ねえミケ、ダイヤモンドにできるらしいのよ」
「ダイヤモンドォォォ!?」
義男の叫びが車内に響き渡った。
「ちょ、ちょっと待て!ミケが宝石に?そんな、そんな高級な!」
「パパ、落ち着いて。ミケはぽっちゃり小型だけど、ダイヤは高級小型だから」
「例えがよく分からん!」
義男はシートベルトを締めながら、なぜか震えていた。
「ミケがダイヤに、俺の給料より輝く存在に」
「義男さん、それは前からよ」
「ぐはっ!」
車がゆっくりと走り出すと、義男はハンドルを握りながら、まだ落ち着かない様子だった。
「ミケが、ダイヤモンドかぁ」
「そんなに驚くこと?」
由美が笑うと、義男は真剣な顔で言った。
「だってさ、ミケがキラキラの宝石になるなんて、なんかこう、すごいじゃないか。俺なんて、結婚指輪ですらキラキラしてないのに」
「それは義男さんが傷だらけにしたからでしょ」
「うっ」
後部座席のさくらが、タブレットを見ながら冷静に口を開いた。
「パパ、メモリアルダイヤモンドって、遺骨や遺灰の炭素から作るんだよ。圧力と温度をかけて結晶化させるの」
「さくら、なんでそんなに詳しいんだ」
「昨日、自由研究のテーマ探してたら出てきた」
「自由研究のレベル超えてる気がするんだけど」
信号待ちのとき、義男がふとつぶやいた。
「でもさ、ダイヤモンドって高いんだろ?」
「まあ、安くはないわね」
由美が言うと、義男は急に焦り出した。
「えっ、ちょっと待って。俺の小遣い、どうなるの?」
「義男さん、誰もあなたの小遣いから出すなんて言ってないわよ」
「そ、そうかよかった」
さくらが横から冷静に刺す。
「でもパパ、ママが家計から出すって言ってないだけで、パパの小遣いから出さないとも言ってないよ」
「えっ、えっ、由美?」
「さくら、変なこと言わないの」
「事実を述べただけだよ」
義男の顔が、信号の赤より赤くなった。
「でもね、義男さん」
由美が少し真面目な声で言った。
「ミケは、私たちの家族だったでしょ。 最後に何か形に残せるなら、それもいいかなって思ったの」
義男はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「そうだな、ミケは、俺が帰ってくるといつも玄関まで来てくれたしな。 ダイヤになっても、なんか、そばにいてくれる気がするな」
さくらが優しく笑った。
「パパ、そういうところはちゃんとしてるよね」
「お、おう、褒められてるのか?」
「うん。珍しく」
「珍しくって言うなよ」
火葬
戸田火葬場の駐車場に車を停めると、義男は深呼吸をした。
「よし、行こうか」
「うん」
「パパ、靴左右逆だよ」
「えっ!? あっ、本当だ!」
義男は慌てて靴を履き替え、由美とさくらに軽く笑われながら、
三人はゆっくりとお別れ室へ向かって歩き出した。
ミケの遺影は、今日もどこか穏やかに微笑んでいる。
こちらの記事に続きます。
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